流れ星が消えるまで

最近よく思うのは、ジャニーズの事など何にも知らない状態でA.B.C-Zを好きになっていればこんな色んなことでもやもやしなくても良かったんじゃないかなということだ。
たとえ何歳であろうと進化を遂げてゆく、新しいものに挑戦していく、去年より今年、今年より来年の方がもっと凄いものが見られる、だからジャニーズのコンサートやパフォーマンス、楽曲が好きなんだ。特殊な環境下であることは確かで、ジャニーズ全てを知っているわけではないから、あくまで自分の中ではという話になるが。グループごとに色は違えど、その姿勢というか、そういうものはどこも変わらないと思う。応援したい気持ちの根源は、自分にとってはそこにある。

A.B.C-Zって、安定力は凄いと思う。臨機応変な対応力も凄い。色々な経験値からもたらされる安定したパフォーマンスは凄い。
でも、そこから先があんまりみえない。喋りも、パフォーマンスも、もっとこれから凄いものが見られるのではないかというゾクゾク感というか、そういうものがなくて。
みていて、多少惰性になってしまうところがあって。
本人達が好きだからA.B.C-Zを観ていて楽しいというのはあって、それは本当に心から楽しいし、好きだとも思うけれど、未来を想像して楽しむというか、期待を寄せることが、自分では思っていた以上に難しいなと、そんなふうに考えた。


喋りがヘッタクソというか、あんまり空気を読むことが出来なくて、滑りまくって。でもなんだかんだ見ていないようで人を見ていて、段々と話せるようになっていって、キャラクターが浸透していって。そんなふうに成長していく人のことをずっと見てきた。弄られて、弄りっていうかそれイジメじゃんみたいな言葉に、眉下げて笑ってるだけだった人が、自分のキャラクターを確立して、弄りを面白い掛け合いにまでもっていこうとしていく様を、そんな過程を、見てきた。
毎年毎年、翌年より素晴らしいものをと、どんなものにでも真っ直ぐに貪欲に喰らいついていく人を見てきたからこそ。

でも、まあ。
まだ見始めて少ししか経っていないから、もしかしたら彼らの成長というのは、すごくゆっくりとしたものなのかもしれないなと、思わないでもない。
希望的観測だ。

もっと喋れるはずだし、もっと魅せるパフォーマンスが出来るはずだ。恒例の、安定の、お馴染みの…ではなくて。荒削りでも、未完成でも、可能性を見せつけられたい。
好きだから、この、停滞した空気がどうしても嫌だ。


努力してないとは思わないし、新しいものを見せるために頑張っていることもわかっている。彼らの色を全て変えて売れてほしいなんて思わない。だけど、今のままじゃ何にも変わらないんじゃないかって、そんなふうに思ってしまうから。


だから、A.B.C-Zしか知らない、A.B.C-Zだけをある日突然好きになりたかったなんて、ありもしない出来もしないことを夢想する。




好きだけれど、過大評価は出来ないし、したくない。
好きだから、諦めたくはない。

何を見ても何を聞いても全てを「最高だ」とは言えないんだ。



五関さん、もっと喋れるようになって下さい。

人の顔を伺いながら空気を読むことより、もっとがむしゃらに前に出て下さい。





こんなこと書いていても自分は自分のまま変わらない。それはもう仕方ない。
ただ、一生モンペみたいなオタクにはなれないだろうと思う。それが自分だ。