田口がいなくなった時にわたしの
KAT-TUNは終わったんだなと思った。
quarterに参加した後にわたしは
KAT-TUN担と田口担を降りたわけだけど、それはもうquarterがどうのという話ではなくて、どうしようもない、本当にどうしようもない事で、
KAT-TUNを嫌いになりたくなくて、自分の意思で
KAT-TUNから離れることにした。
上田の言葉を借りたら「
KAT-TUNという船を降りた」ということになる。
大好きで、大切で、誇りに思っていた
KAT-TUNを、嫌いになってしまいそうだった。
そうなるまでには色々な原因があり、それら一つ一つは小さなことでも、積み重なっていくうちに耐え難くなり、このまま
KAT-TUNを好きでいるのがどうしても苦しくて、ただ好きでいられた頃に戻りたくて、
KAT-TUNから離れようと思った。
やっと
KAT-TUNを、もう一度心から好きになった。改めて、離れたところからみる
KAT-TUNは最高で、凄かった。降りても、それは変わらなかった。
発表された後、友達と長時間電話をした。
電話が繋がった瞬間、二人とも既に泣いていたのに、
震える声で「なんで、」と言ったのはどちらだったか、互いの声を聞いて、嗚咽するほど泣いた。
泣いて、泣いて、他のどんな歌手が歌っても何も聞こえなかった。テレビにはずっとあの番組が流れていたけれど、頭のなかに何度も赤いロングコートがちらつき、田口がわたしの頭のなかで「脱退します」と口にした。
どうして?なんで?
多分そんな言葉しか口に出来ていなかったように思う。
友達と長々と通話をしていたが、内容なんか殆どなかっただろう。二人して会話になっていたかすら定かではない。田口、と名前を呼ぶだけで胸が痛かった。
だから、脱退は二度、もう経験していた。
赤西が抜けた時は、ただただ怖かった。
KAT-TUNがどうなってしまうのか、全く思い描けなくて。
コンサートで、ラブユアの時にシンメがそれぞれ歌う中亀ちゃんがただ一人で真ん中に立っていた事を思い出す。不安で、怒りはなかったけれど、なんとなくいつかはこうなってしまうのではないかと思っていた事が現実になってしまって、呆然としていたと思う。
聖が脱退した時は、友達とご飯を食べている時にあのメールを受け取った。
まさかと思うより「やっぱり」という気持ちが先だった。
少なくなる活動、ラジオに出なくなる聖、少しずつ少しずつ、五人が崩れていく感覚がどこかにあった。
メールが来た時にはただ、やっぱりなと思った。そして、また
KAT-TUNは大丈夫なのかなと、不安になった。
ただ、やはり二人が抜けてしまった時にも田口は居て。そこにずっと居て。
確かな戦力で、
KAT-TUNの核みたいな二人がいなくなった喪失感は計り知れなかったけど、それでも田口が居た。
田口が居たから、わたしは
KAT-TUNを、どんな形であれずっと好きだった。
「もうあんな経験は二度としないだろう」という確固たる自信があった。
六人の時にただ弄られて眉を下げているだけだった田口が、キャラクターを確立してなくてはならない大事なピースになっていくのがわかった。
ダンスがどんどん自信に満ち溢れていって魅了された、歌声も凄く良くなって、ドラマで注目され、向かうところ敵なしだと思っていた。
田口が貶されていたなんて信じられない!そういう声をたくさん見た。嬉しかった。
KAT-TUNというグループが好きで、誇りで、それに加えて凄く楽しかった。
田口が好きだった。
田口がとても自慢だった。
昔からそうだったけど、四人になってからの田口は特に好きだった。
よく笑い、よく動き、よく滑る。でも愛されている。
KAT-TUNを嫌いになってしまいそうになったきっかけだったり要因だったりは、結局いろいろあったけれど、わたし自身が耐え難い事がたくさんあって。そこを書き連ねたい訳ではないから省略するけど、結果的にはわたしは
KAT-TUNから離れた。
自分の意思で離れた。
でも、10周年を祝う前に
KAT-TUNから離れた事を、こんな形で後悔するとは思ってもみなかった。
田口が「脱退します」と言った時、降りなければ良かったと思った。
わたしが降りたからどうのこうのではないというのは勿論わかっている。
でも、こんな、もう何かを口にしてもいいような場所にいない事が凄く辛かった。
こんなに辛いのに、わたしはもう当事者ではない。田口の担当ではない。
もう直ぐ終わってしまうのなら、その最期の瞬間まで田口担でいたかった。
これは、身勝手な言い分だけれど。
A.B.C-Zを、五関さんを好きになったことは後悔していないけど、きっとこれが本音だと思う。
田口を担当としてみてきた時間の終わりは、あんな半端な時期じゃなかったんじゃないか。
そんなこと今更なんだけど。今更なんだけど、だから辛かった。
quarterの二日間、わたしは一人で参加した。
まず最初の登場の場面から、客電が落ちて会場が暗くなり
KAT-TUNの生み出す世界に足を踏み入れた瞬間から、わたしはもう号泣していた。
四人がステージに現れて、一人一人の名前をコールして、
KAT-TUN!と叫びながら、泣いていた。
ラビンユーで田口が「この俺を最後まで愛し続けることが本当にできるかどうかだけを知りたかった」という、わたしが最も好きなパートを歌うのを聞いて、もう立っていられなくて、隣のお姉さんがポケット
ティッシュを丸ごとくれても足りないくらい、ずっと泣いていた。
担当として見る最後の田口だった。
quarterの二日目、四つに分かれたステージのうち、田口が立っているステージが丁度目の前に来た。
ずっと田口だけ見ていたから、遠くにいた時から、田口が泣いているのがわかっていた。
近くにきて、泣きながら歌う田口を見て、堪らなくなってまた泣いた。
quarterは二日間とも泣きすぎてそのあと寝込んだ記憶がある。
どうして田口が泣いていたのか理由はわからなかったけど、その時は「以前東京ドームでコンサートした時は、まだ聖がいたんだよな」という思いがあって、シンメであった田口はそんなことを考えているのかななんて、ぼんやり考えたりしていた。
わたしは降りることを決めて、その涙を見て、自分も泣いて、胸が痛くなるまで泣いて、担当としての田口と
KAT-TUNにさよならした。
そして五月、同じ月に今の担当である五関さんと出逢って紆余曲折あって担当になったんだけども。
これからも
KAT-TUNというグループを応援しようと思うし、FCだって入ったまま抜ける気なんて更々ないけど、でもきっと、充電して帰ってきた
KAT-TUNは、わたしの知らない世界なんだと思う。
田口が好きだった。
田口の笑顔が好きだった。
パフォーマンスが好きだった。
笑い声が好きだった。
末っ子気質なところが好きだった。
いつだってメンバーを大好きだということを恥ずかしがらないところが好きだった。
きっといつまでも田口担だった自分を引きずり続けると思う。
今こうして五関担になったのだって、きっと田口が基盤にあったからだと、どこかでは思っている。
もう届かない、直接伝えられないさよならを言いたくなくて、ずっと、こうして田口のことを書けなかったんだと思う。
でも、降りてから初めて、やっとquarterを観て。どうしても、もう、さよならをしなければ区切りをつけられないとはっきりわかったように思うから。
田口担でいられた時間は幸せでした。
過去は全て大事に抱き締めて、船を降りたわたしは別の道を歩いていきます。